もしかしたら、が不可能をけす言葉
もしかしたら...
世界とれるかも
日本一になれるかも
という思考が現代の競争社会ではだいじなのなかもしれない
あとは「センス」
これをセンスといったらそうかもしれない
ひとが気づかないことがいわば「センス」
ひとが気づくことが「スキル」と言われる
「スキル」は目に見えてわかることであり
教科書にのっとってやっていけば身につく
わかりやすいことであるが、
「センス」って
卑怯な言葉だな〜
センスの中に色んな要素ない?
・心理
・間合い
・タイミング
・雰囲気
・言葉のチョイス
しかもどれもひとによって変化する
時間や場所によっても変化する
やっかいな代物
※同じ人間や同じ場所はない
スキルとセンスに共通することもある
人間性が腐敗することがある
高いレベルで、他の多くの人と違う要素が増えると優越感を感じたり、ひとを見下したり、言葉も横柄に支配的になる
これも競争社会だからしかないのかな...
センスは
歩いた距離によって磨かれる
世界の、時間帯の、見たことのない景色に
たくさん触れ、たくさん感じ
脳みそをバージョンアップさせ磨く
いわば、井の中の蛙大海を知らず、に共鳴する
偶然を偶然と感じない
何気ないことがなんかのきっかけ発見になる
それに気づけるかどうかで、わずかな差
競争社会に生き残っていく
これが本当に必要なことかと思うこともある
だって、
競争は歪み合う社会を生み出しているようにも感じるから...
もしかしたら、から
広大な世界が広がる可能性は無限大にある
自分の可能性を、人間としての可能性を
失わず進んでいこう
※なくならなかったら可能性はゼロじゃない
私たちは
いつだって自由なんだから
ここから、ワクワクが始まる
ゆるキャラなんかあってもいいな〜
うんちまんが世界を幸せにする〜