高井鴻緑

冒険家/言葉にも芸術はある/言葉で幸せにもなるし/不幸せにもなる/言葉って不思議ですね/面白いですね/自分の人生を笑って生きたいですね/私の好きな言葉/知ることを愛すれば一層愛も深くなる/体験

私は話すのが好きじゃない

作 しま いろなり

 

 

人生において、人と話す場面は数多くあるだろう。

太陽の下に、おぎゃーおぎゃーと誕生し、名前を与えられる。

「空~そら~」「あぁー。」

「あんたはいつまで寝てんの?」

 

 

茶店で会話をする人達

「リノベーションして、色は緑、コテージ風がいいよね」「そうだね、それはいいね、楽しみ」「ミルクたっぷりで、ロールパン、ジャム、追加でこれ、これいる?いるって、以上でいいですか?はい、注文の時間も定員さんと楽しそうに会話する。

静かに座って本読むひともいる、携帯さわって自分の有意義な時間にしているひともいる。

 

※喫茶店にいる人達は、会話を楽しんでいる(雰囲気が良い場所では、会話は弾む、恋人たちが良いロケーションだと心臓がバクバクするのと同じ感覚なのだろう。

 

 

恋愛の話

「○○くんカッコいいよね、そうだね、目元が好き、わかる、私は少しぺちゃってする鼻も好き」

 

 

スポーツの話

「ここにパスほしい、そう?、ここよりあそこの方がスペース空いてるし良くない?、それもありだね」

 

 

面接

アルバイトや就職する時に行う行事。私は嫌いでしょうがなかった。好きなひとはいますか?苦ではないひとはいるかもしれないですね。

一方的に相手に話す、この時間が、、心を読み取るロボットでもいればいいのにと、、。

 

 

言葉が話せない時は、一方的に言われる。

「空ちゃんは、可愛いね~」「・・・・」

 

食事

家での食卓、友達との食卓、仕事での食卓、ひとは食事をしている時幸せそうな表情をしているひとが多い。幸せな時間のときには、会話を好む、ひとりでの時間よりも、相手と会話をするという幸せのつながりを作ろうとしているようにも感じる。幸せはひとに伝えたくなるし、自然とにじみででしまうものだと思う。これが人間なのだ。わたしはおもう。この時に、話し手だけでも成立するが、ここに聞き手がいるから、幸せに感じるのだろうと。人間は、ひとりでは生きていけないということだ。ビジネスマンが好きな、要は「人は一人では生きていけない」と結論をいっておこう。

 

結論なんて、要点なんて、主語なんて、生きていく上ではそんなに重要ではないと私は思う。(勘違いはいけません、それぞれの立場、社長だったり、会社員としてあります。物事を上手く進めていく上でも、時間は有限であることは承知しています)、戻りますが、生きていく上で重要でないと思う理由は、「なくても死ぬことはないから」動物かと言われそうですがあくまでも私の考えです。より上手く生きていくためには、一般的にレベルが高い人達の層に合わせることも大事かもしれない、上の層が生きやすくする為にすることが、自分の生きやすさに繋がることもある。要は、相手がいる、相手をどう受け止めるか、どう思うかで、生きやすさは変わるということ。だから、自分が進みたい道を選んで進めばいい。

ぶーぶーぶーぶー言うひとがいるから、選ぶ選択も減っていくのだよね。

どうしたら自分の信念を曲げずに生きられる?

 

 

 

私がこの本で言いたいことは、話したかったら話せばいいし、聞きたかったら聞けばいい。そして、そこには、相手がいるってこと。ひとりではない世界で生きているからこそ、感じなければいけないうこと。得意、不得意、上手、下手ではなく、自分が進みたい選択は、自分で選ぶと、幸せになるってこと。(こんな言葉は誰に言われるかによって変わる、、、だとすれば、、どの口が言うんだと、、ご清聴有り難うございました。)

 

 

茶店は理想の空間なのではないか、生きていく上で縛られる要素が少ないように感じます。だから、世界中の人達が、この時間を愛してやまないのかもしれないですね。

 

 

 

このTシャツもってたっけ?えーなにそれ?お金くれるの?いいね、うん、お父さんとお母さんには「結婚記念日」っていうのがあるのね、、ねねちゃんやたくちゃんもいずれ結婚したら分かるんだけど、、、。

楽しそうに子供たちに話すお父さん

 

 

 

 

おわり

 

 

言葉を通じて、同じ空間を創造してみたい