あぶない太陽Ⅲ
著作 しま いろなり
「ブァアーーー」「ドドドドドン」
銀行の横を車で通り過ぎる。信号で止まり、左折し、次の銀行を通り過ぎ、信号で止まった時であった。「コンコンコン」と音がした。何か車のトラブルでも起きたのかと思い見たら、紺の制服に帽子をかぶった、見たことがある格好の人がいた。何が起きたか分からず言われた。「ついてきてください。」と。路肩に止まると「携帯見てましたね。」と言い放つと何やらバイクに戻って書き始めた。何が起きたか分からず・・車で待とうと・・思ったが、私は車から飛び出した。「すみません。停車中に携帯を見るのはいけないのでしょうか?!」
「いいえ。大丈夫ですよ。○○銀行を通った時に見ていましたよね。」
「ん?!」 「どういうことですか?!」 「見ていないです」 「こんなにタイムラグがあり、信号で止まったから声をかけなかったのですか?!」
「違います。ずっと追いかけていたのですが、追いつかずだったのです。あなたの後ろにトラックいましたよね。○○銀行から見ていたんですよ。私は確かに見ました。」
・・・・
ここから何をいっても、話を聞いてもらうことはありませんでした。このように、人生は山あり谷あり、就職先によって、黒は白になり、白は黒になる。世の中とは理不尽で無情であることを学んでいく。こころの土台がない状態で、理不尽を経験してしまうと、人はひねくれて、他人を妬み、いがみ合う世界に向かう住人が増えていく。「こころ」が腐敗し、お金に嫉妬、免許証の色にも嫉妬する。3点減点、ゴールドはブルーに早変わりする。一瞬で地獄にいった気分になる。不条理に時は流れていく。こうして自分の人生はクソだと思う人間が生まれ、他人に暴力暴言をしてしまう循環になるのではないかと。感じれるように成長していけるのがこの20代~30代の時代だと私は思っている。
「こころ」の土台が構築された人間は、感情の振り幅も大きくなる。それと同じように年月が増えていくと感情の制御幅は小さく弱い人間にもなっていく。
人間は弱い。
人は一人では強く生きていくことは限りなく難しい。